昼食を終えると、リザレリスはフェリックスに連れられて、窓付きキャビンの馬車に乗り込んだ。第一王子が直々に街を案内してくれるらしい。ふたりきりで。
「では行こうか」フェリックスも乗り込むと、馬車は出発した。
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屋敷の前でふたりを見送りながら、エミルが王子の従者に言う。
「本当に、おふたりだけで行かせてしまっても大丈夫なのですか?」
「ああ、はい。フェリックス王子殿下はあういう方なので」
「今までもこういったことはよくあったのですか?」
「いえ、そういうわけでもありません」
「え?」
「殿下は、本日を非常に楽しみにしておられました」
「それは......リザレリス王女殿下に会うことを、ですか」
エミルは静かな口調で訊ねた。聞きたいけど聞きたくないような、そんな声音だ。
従者の男は「ええ」と微笑む。
「フェリックス王子殿下は、い
昼食を終えると、リザレリスはフェリックスに連れられて、窓付きキャビンの馬車に乗り込んだ。第一王子が直々に街を案内してくれるらしい。ふたりきりで。「では行こうか」フェリックスも乗り込むと、馬車は出発した。・屋敷の前でふたりを見送りながら、エミルが王子の従者に言う。「本当に、おふたりだけで行かせてしまっても大丈夫なのですか?」「ああ、はい。フェリックス王子殿下はあういう方なので」「今までもこういったことはよくあったのですか?」「いえ、そういうわけでもありません」「え?」「殿下は、本日を非常に楽しみにしておられました」「それは......リザレリス王女殿下に会うことを、ですか」エミルは静かな口調で訊ねた。聞きたいけど聞きたくないような、そんな声音だ。従者の男は「ええ」と微笑む。「フェリックス王子殿下は、い
「おおお。ここが留学中の住まいになるのか」辿り着いた先は、これからしばらくの間、王女一行の居所となる屋敷。さすがは一国の王女というのもあり、上流貴族が住むレベルであろう住居が提供された。「ここは我が国の首都〔デアルトス〕の中の一等地。そこにある有数の屋敷から選びました。留学中の期間のみとはいえ、リザレリス王女がお住まいになるには、これぐらいはご用意しなければ失礼でしょう」まるでフェリックスは、女が夢に見る典型的な王子様のようだった。だが相手は、遊び人男の魂を宿した唯一無二のお転婆プリンセス。こんなことでうっとりするような女ではない。「城に比べりゃ広さは劣るけど、こっちのほうが新しくて綺麗で住みやすそうだな。うおー、テンション上がってきたー!」リザレリスは、隣のエミルの背中をバンバン叩きながら少年のようにはしゃぎ出した。喜んではいるが、色気もクソもなかった。そんな彼女のことを、フェリックスは楽しそうに眺めていた。新しい住居に住むための準備をひと通り終えると、新しい自室のベッドに向かってリザレリスは体を投げた。「やば、ちょっと眠い。昨日楽しみすぎてあんまり眠れなかったからなー」そのままゴロゴロするリザレリスの視界の端に、ふと見たくない顔が入ってきた。「王女殿下」「ひぃ」リザレリスは悲鳴を洩らす。「ひぃ、じゃありません」ルイーズは肩をそびやかして王女を見下ろしながら、ハァーっと大きくため息をついた。リザレリスはむくりと体を起こして頭をポリポリ掻く。「ちょっとぐらいはしゃいだっていいじゃんか」「ブラッドヘルム城であれば、それも含めて王女殿下は愛されておりました。しかしです。ここは他国なのですよ。しかも我が国にとって、とても重要な関係にある特別な国です。そのような国の第一王子であらせられるのがフェリックス王子殿下なのですよ?」「じゃあ俺...じゃくてわたしも女王になればいいんじゃね?」リザレリスは悪戯っぽくニヤリとした。次の瞬間、ルイーズの堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた気がした。「だったらなおさらです!!」「あ、いや、その」「フェリックス王子が寛大で寛容な方だから許されているのですよ!王子がそれをお望みだとしても、それに甘えてはなりません!」それからルイーズの説教がこんこんと続いた。リザレリスは肩をすぼめて俯きながら、エミルのことを考
【王女留学~宿命の章】・・・【1】リザレリスを乗せた船は無事、〔ウィーンクルム〕の港に到着した。波は実に穏やかで、空は青く晴れ渡っている。まるでブラッドヘルム王女を歓迎し、待ちわびていたようだ。「お待ちしておりました。リザレリス王女様。フェリックス・ヴォーン・ラザーフォードでございます」船を降りるなり、高貴な外観をした金髪の美男子が自らリザレリスを出迎えてきた。警護の者以外に彼が引き連れてきた出迎えの人員は思いのほか少なく、厳かな空気もまったくない。王族同士というより、親しい貴族同士が対面する雰囲気だった。フェリックス王子の意向でそうなったと思われるが、さっそくリザレリスは油断する。「おっ、久しぶりー」ルイーズによる教育効果はどこに消え失せてしまったのかと思うほど、リザレリスは気軽に応じる。その途端、エミルとルイーズがハッとして駆け寄る。「王女殿下。初めまして、ですよ」エミルが思い出させるようにヒソヒソ声で囁いた。「あっ」完全に失念していたリザレリスは、ヤバイと思っている暇もなかった。続けざまにルイーズが鋭い眼で訴えかけてくる。相手は第一王子ですよ、くれぐれもちゃんとしなさいと。「わ、わかったよ」緩慢しきっていた気を引き締め直して、リザレリスは訓練で習得した王女の顔を作った。「お出迎えありがとうございます。フェリックス王子さま。わたしはブラッドヘルム王女、リザレリス・メアリー・ブラッドヘルムです」スカートを軽くつまんで、片足を内側斜め後ろに引き、膝を折って挨拶する。ルイーズによる教育の甲斐あって、リザレリスのカーテシーも様になっていた。「そんな堅苦しい挨拶は結構ですよ」 フェリックス王子は穏やかに頬を緩めた。「えっ?」とリザレリスは一驚する。「私...いえ、僕と貴女に立場の差もありませんし、そのような挨拶は必要ありませんよ。普通に十代の学生同士でいきましょう」フェリックスは、実に寛大で友好的な姿勢を見せた。「マジで?いいの?」途端に姿勢を崩したリザレリスは目を輝かせる。「もちろん。だからこそ今回の留学にあたっては、国王陛下とも協議した上で、形式・儀式的なものは排除させていただきました。ディリアス様も、そのほうがリザレリス王女殿下にとって良いだろうとおっしゃいました。どうでしょう。リザレリス王女も気楽で良いのではない
~登場人物紹介~・・・ ☆リザレリス・メアリー・ブラッドヘルム本作の主人公。五百年間の眠りから覚めた吸血姫にして、吸血鬼の国〔ブラッドヘルム〕の正統なる王女。前世は遊び人の男で、その人格をそのまま保有している転生者。年齢不詳だが、外見は十五歳ぐらいの金髪美少女。目覚めてから二回の吸血を行っているも条件などは不明。魔力を秘めている?性格は明るくテキトーで、遊び大好きのお転婆プリンセス。 ★エミル・グレーアム銀髪の美少年。吸血姫のための生け贄。優れた魔導師でもあり、王女の護衛も務める。性格は真面目で謙虚だが、王女のためなら大胆にもなれる。その性格と哀しい半生は、リザレリスの心にも影響を与えた。リザレリスを心酔している。 ★フェリックス・ヴォーン・ラザーフォード〔ブラッドヘルム〕の友好国であり、大国〔ウィーンクルム〕の第一王子。知的で聡明な気品ある金髪美男子。穏やかで爽やかなイケメンだが、底の知れなさを秘める。リザリレスが王女であることを見抜いていた。優れた魔法能力も有しているようだが詳細は不明。 ★レイナード・ヴォーン・ラザーフォードフェリックスの実の弟である第二王子。ぶっきらぼうで偉そうな黒髪美男子。雑貨屋でリザレリスと出会い、氷のリングを巡ってモメたことも。その指輪は彼女へのプレゼントらしいが......。 ☆ルイーズ特別侍女長の中年女性(具体的に何が特別かは不明)。王女の教育係でもある。お堅い先生気質で性格は厳しい。今後は政務官(外務官)の役割も担うことになる。 ★グレグソン王子たちの執事的な従者の中年男性。 ★ディリアス吸血鬼の国〔ブラッドヘルム〕の国王代理の公爵。リザレリスが女王に即位しなかったので、実質的な最大権力者。リザレリスいわく、イケオジ。実は元生け贄で、エミルの師匠でもある。 ★ドリーブディリアスの政敵である侯爵。タヌキ面の小太りの中年男性。狡猾。・・・ ~ここまでのあらすじ~ 前世で刺殺された主人公は、吸血鬼の国〔ブラッドヘルム〕の王女リザリレスに転生する。プリンセス生活を謳歌できると思ったリザレリスだったが、国の経済は逼迫していた。間もなく政略結婚の話も持ち上がり、リザレリスはピンチに。そんな時、お忍びで〔ブラッドヘルム〕にやって来ていたウィーンクルム王子ふたりと出会う。彼らはブラッドヘルム城へ
【13】出国の朝も爽やかな晴天に恵まれた。春のような暖かい風が穏やかにそよいでいる。リザレリスは、エミルと他数名の従者を従えて、国一番の船に乗り込んだ。昨日のパレードのような混雑を避けるため、一般国民に向けて時間や場所の周知はなされていない。港に並ぶ人々は、ほとんどが城の者たちだった。「思ったより人数少ないんだな」甲板に立ったリザレリスが意外な顔をした。でもそれは港に立つ人々へ向けたものではない。船に乗る船員たちに対してでもない。留学する王女に伴う人員の少なさについてだ。「フェリックス王子側からの要請だそうです」王女の傍に寄り添うエミルが答えた。「へー、そーなんだ。でもなんでだろ」「リザさまの警護については、ウィーンクルム側が責任を持って人員も費用も負担するということです。リザさまのお側には常にぼくも付いていますから心配はご無用かと」「ふーん」自分から振ったわりに、リザレリスは興味なさそうに返事をする。当然だ。心は留学のワクワクでいっぱいだから。本当は、はしゃぎたかった。でも我慢した。口うるさいルイーズも侍女として、すぐ後ろで控えているからだ。ちなみにルイーズは今回、侍女のみならず現地での政務官(外務官)のような役割も担っているらしい。上質なシュールコーを纏った、古風だが品格のある女官のような本日の彼女は、普段とは様相が異なっていた。妙に様にもなっている。なぜ侍女であるルイーズがと不思議に思ったが、リザレリスは深く考えなかった。留学生活への期待と楽しみに、王女の頭は支配されていた。「あー、早く学校行きてー」「もう少しですよ。ぼくも楽しみです」エミルに微笑みかけられ、リザレリスも笑みを浮かべた。まもなく船が出航する。元気なリザレリスは手すりに走り寄っていくと、目一杯にぶんぶんと手を振った。ルイーズの存在も忘れて。「みんなー!」「王女殿下!どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ!」港に立つ臣下の者たちは皆、一様に堅苦しく声を上げた。リザレリスは手を横に振り、違う違うとジェスチャーする。「こういう時はもっと砕けていこうぜ!」「お、王女殿下?」臣下の者たちは目を丸くする。離れていく船の上から、王女が自分たちに向かい、被っていた帽子をぽーんと空高く放り投げたのだ。薔薇風のリボンをしつらえた王女の帽子がカモメのように宙を舞う。それは不
ディリアスはいったんドアの方をチラッと見やってから、エミルへ視線を戻す。「で、どういう変化なんだ」「明確に言うのは難しいのですが......」「いいから言ってみろ」「ぼくの魔力に、新しい別の魔力が混じったような、そんな感覚を覚えたんです」「新しい別の魔力が混じった?」「おそらく王女殿下は、特殊な魔力をお待ちのようです。それはまだ微弱なもので、今後どうなっていくかはわかりません。ご自身ではお気づきになっていらっしゃらないようですが」「特殊な魔力か」「そして吸血により、ぼくの中にその魔力が流し込まれたのかもしれません」「なるほど。だからお前はその魔力に気づけたのだな」「そう考えるのが妥当かと。とはいえぼくも二回目の吸血でようやく気づけたことですが」「それで、お前の魔法に変化はあるのか?」「今のところはまだ。ただ......」
無事パレードも終わり、一日が終わろうとする頃、エミルはディリアスの執務室へ呼び出された。二人きりだった。部屋はやけに静かで、ランプの炎の音が聞こえてきそうだった。ディリアスの指示により、小一時間ほどは他の者の入室、および部屋に近づくことさえも禁じたからだ。「先生」執務机を挟んで、エミルはディリアスの向かいに立った。「エミル。何の話かはわかるよな」ディリアスは着座したままエミルの顔を見上げる。神妙な表情だ。「リザさま...リザレリス王女殿下のことですね」エミルも神妙に応じる。ディリアスは目だけで頷くと、口を切った。「今日に至るまで、王女殿下に吸血されたのは二回だけ。間違いないな?」「はい」「吸血のタイミングは不規則で、条件も特に見当たらない。そうだな?」「はい」「では王女殿下のご様子に変化は?」「吸血
【12】 いよいよ王女が留学のために出国する前日。青空の下、〔ブラッドヘルム〕ではパレードが行われた。リザレリスの提言により無駄な支出は控えられていたものの、ディリアスの立っての要望だった。何より国民のためと言われれば、リザレリスも断ることができなかった。豪勢な馬車に鷹揚と運ばれながら、花道を作る国民に向かい上品な笑顔を作り、しとやかに手を振る王女がそこにいた。「う、うまくやれてるかな」リザレリスは笑顔を維持したまま、隣に控えるディリアスに確認する。「大丈夫です」ディリアスは穏やかに頷いた。リザレリスはほっとする。事前にルイーズから相当厳しく指導されていたので、万がいち失態を犯せばどれだけ絞られるかわからない。留学前日の夜に『王女教育授業』の補講を受けるハメになるのはまっぴらだった。「......それにしても、俺...わたしって人気あるんだな」道に押し寄せた国民は、リザレリス王女を一目見ようと熱狂していた。逼迫した経済状況であることも忘れて。国民のためと言ったディリアスの言葉の意味は、こういうことだったのだ。
【11】留学まで残りあと僅かとなったある日。午前の授業を終え、いったん自室に戻ったリザレリスは、はたとする。「俺...わたしは、なにマジメに王女やってんだー!」ここのところのリザレリスは、日々ルイーズの授業を受けながら、城内と城の近辺だけで過ごしていた。留学したら自由にできると思って、今は大人しくしていたというのもある。ヘタに何かをやらかして留学の話が飛んでしまったら元も子もない。だが、そろそろ限界を来していた。「留学はマジで楽しみだ。なんせ前世でも経験したことないんだから。だから今は遊ぶのも我慢してたけど......もう遊びてー!!」リザレリスは叫んだ。前世の人格から飛び出した、まさしく魂の叫びだった。「てゆーか最近はエミルの奴もあんまり絡んでくれないし。そうだ。エミルを連れ出して、また一緒に外へ遊びに行こう!」思い立ったが吉日。リザレリスはドタドタと部屋を飛び出した。「エミル・グレーアムですか?外に行っておりますが。場所は確か......」臣下のひとりに教えてもらい、リザレリスは廊下を駆け抜け城を出ていく。召使いに命令して呼び出したほうが楽なのに、リザレリスは自分で探しに行った。そうしたかったから。「あっ、エミル!」視界の先にエミルを見つけ、リザレリスは人気のない空き地に向かって翔けた。 「王女殿下?」エミルは驚いて振り向いた。視界の先から、愛しい王女が手を振って走ってきている。「リザさま......」エミルは息を飲んだ。太陽に照らされたイエローダイヤモンドのように煌めく美しい髪をなびかせて、無邪気な少年のように駆けてくる絶世の美少女に。「エミル!」リザレリスはエミルに走り寄っていくと、華奢な体でドーンと体当たりした。エミルはただ驚いた。「り、リザさま」「あ、ヤバい」と途端にリザレリスは膝に手をついて、ゼーゼーと肩で息をする。 心配になったエミルは王女の肩を抱こうとするも、ハッとする。朝からトレーニングをしていた自分の体が汗臭い気がしたから。「ああー、のど乾いちった」おもむろにリザレリスは汗が滲んで桃色に火照った顔を上げて、えへへと笑った。その笑顔から放たれた可憐な矢に、エミルの心臓は射ち抜かれた。「か、かわいい......」「えっ、なんて言った?」「な、なななんでもないです」途端にあたふたとしてエミルは横を向い